国際政治·국제관계론

사회주의 체제의 붕괴와 그 현대적 과제

雄河 2015. 12. 24. 18:29

 国際相互依存論研究( 山本吉宣教授)       国際関係論専攻   ○○○

 

 

 東欧における社会主義体制の崩壊とその現代的課題

                    

           -国内構造とトランズナショナル 連合(TNC) 活動の分析を兼ねて

 

 

 

 序説

 

 1989年東欧諸国は1党独裁体制を終えて、新しい民主主義-市場経済体制へ入り、東欧の社会主義圏は瓦解した。これは、その後1991年ソ連の解体に繋がった。東欧諸国で起きた一連の出来事は、その地域だけの問題ではなく全地球的・世界史的な意味を持ちながら、国際秩序と国際環境ががらりと変わるように影響を与えた。

 これまで1世紀半もの間、資本主義とは異なる代替的な社会ビジョンとして位置付けられて来た(ソ連型)社会主義が、東欧の事態で事実上その姿を消すようになったのは、東欧変革の歴史性を雄弁に物語っているのである。

 では、このような東欧変革は、原因は何であろうし、どの過程を経て、どんな方法で起こったのか、その結果は何であったのか? 本報告者はこれらに対して少し考えて見たい。

 

  一。東欧崩壊の原因

 

 1. K.Marxの理想の失踪と、その限界

  (1)マルキシズムの弁証法的な結末

  ソ連を含んで東欧社会主義圏崩壊の最も根本的な理由は、物質的満足と共に自我実現、階級の廃止、搾取・抑圧・独占・不平等など、あらゆる不公正なものを解消しようとしたマルキシズムの理想の変質で、見つけられるであろう。

 この変質は共産主義社会の展開過程で起こった。政治的権威をもつ共産党メンバ-たちは体制固着化をもたらして、市民社会に相対的剥奪感を浴びせ、生産活動にも無関心になるようにさせた。この共産党メンバ-たちによる新権威階級の固定化は、階級の廃止のため、あれほど情熱を注いで来たマルキシズムの理想を決定的に損ねた。

 結果的に共産社会で再び現れた独裁と抑圧は、階級間均衡のため暫定的に掲げられたものの社会主義国家の建設の主要な里程表であった‘プロレタリア-ト独裁' を壊し、新しく名付けられた階級を生んでしまった。これはあいにくな事に、弁証法的な結末だったのである。

  (2)Hegel哲学の批判的収容としてのマルクシズムの限界

 Hegelの疎外理論を批判的に発展させたマルキシズムの限界は、人間を物質的・社会的・歴史的な側面で扱い、片方だけを強調した事にある。ユダヤ人両親によって宗教的環境で生まれ育てられたマルクスが、むしろ人間の内面的・精神的・個人的・実存的なものを軽視したのはアイロニ-でもある。

 マルクスは社会の成員( 社会的存在) としての人間を重視し、Hegel 哲学のもう一つの流れである‘個人的存在としての人間' を観察しなかったのである。これが、終わりまで響いて社会主義体制は終末を告げるに到るのであった。是を反省してポスト-マルキシスト達は、私有財産と、もっと進んで、個人の個性と自由をも尊重し、社会体制の多元性(plurality) を高める柔軟性を見せ始めたのである。

 

 2. 伝統的な資本主義レ-ジムの修正

  第三世界までに共産化が広まる中で、伝統的な資本主義はその弱点を認識し始め、市場経済に計画経済を加える技術的な試みを行った。このような資本主義国家の色々の自己変革過程は、自由主義(liberalism)の名の下であらゆる弊害を生んで来た既存の資本主義を廃止させ、いや、それを補完して現代の福祉国家を出現させたのである。

  この資本主義の修正過程にヒントを与えたのはマルキシズムなので、これも、また歴史のアイロニ-であろう。実にマルキシズムの導入によって資本主義が補完されたのは間違いないから( 例えば産業民主主義論(Industrial Democracy)を定立したRobert A. Dahlは、マルキシズムから借りて労使間に適用し、伝統的な自由(liberallaisse-faire) 資本主義の終焉を予告させた) 、マルキシズムは資本主義の延長への影の功労者だったかもしれない。

  結局、既存の資本主義を修正した福祉国家の成長で、社会主義体制は打倒の的を喪失し、自分自身の存立の理由までも失ってしまったのである。

 

 3. 東欧における市民社会の発達とTNCs

  さて、東欧諸国の崩壊の過程に直接触れるためには、上記の1 2 の背景的な原因に加えて、1980年代の欧州の政治社会的環境、東欧各国の特殊な国内状況を覗き見る必要があろう。

  一般的に1989年の東欧変革は、経済的要因、政治リ-ダ-シップの要因、軍事的要因、そして市民社会とTNC活動の要因が働き合って起こった、と言われている。

 ソ連と同じく、東欧諸国も経済的要因、即ち、市民の生活苦など色々の民生問題の壁にぶつかってレ-ジム変革に繋がった側面を見逃せない。皮膚に触れて来る、この人間の食べ・飲み等に関する基本的な欲求が満たされないと、理念は、それだけで空念仏に終わるだろう。ここで、理念が先か人間が先か、という偉大な(?) 歴史的問いはその解答を見つけたように見えたのである。

 政治リ-ダ-シップ要因においては、ゴルバチョフの登場が東欧の変革を可能にした、とも言える。ゴルバチョフによる政策転換も、実は、ソ連の体制守護に神経を使う暇もないまま、市民福祉のため現れたものだが、いずれにしても、これは東欧が変化するのに決定的な外部環境要因として作用したのである。

  軍事的要因においては、米ソが率いる東西両陣営が軍備増強に置重している間、真の国家の役目( 民衆福祉、共同体ビジョンなど) を果たさなくなって、その反響として市民社会が離脱し、これがソ連・東欧において難局打破への新思考を生み出した、と回顧できる。

 まさに、ソ連と東欧は冷戦と軍拡のせいで、回復できない重傷を負ってしまって、これがソ連・東欧の崩壊に真っ直ぐに繋がったのである。

 しかしながら、東欧の変革において漏らせない要因があるのに、それが市民社会の成長とTNCsの活動に他ならない。

  相互依存論の学界では、レ-ジムの変革は、経済、政治、軍事、理念などの要因だけではなく、脱国家的国際規範と脱国家的政治文化(transnational political culture) によって補足され完成される、と言われている。Patricia Chiltonは、彼の論文Mechanics of change & the transformation processes in Eastern Europeで、この脱国家的な国際規範と政治文化の形成には、市民グル-プ・NGO などのアクタ-による脱国家的活動(transnational activity)が前提されるべきである、と語っている。例えば、1980年代平和と人権の為の脱国家的連合(PHR-TNC) は、欧州の主要地域で連携して活動し、東欧の変革への条件が満たされるようにした、とされる。

  しかし、この脱国家的な活動が1989年の東欧変革への充分条件にはならなかった、という。国内市民社会(domestic civil society)の発達度こそが、その活動を後押し出来るからである。

 

 二。東欧における体制変革の過程

 

  (* 報告者注:この部分は,Patricia Chilton,Mechanics of change in Eastern Europe ,in Thomas Risse-Kappen(ed.),Bringing transnational relations back in(Cambridge:Cambridge University Press,1995)より抜粋するようにして書いたものである)

 

 1.ハンガリ-とポ-ランドの場合

 (1)高レベルの市民社会活動(+CS) と高レベル の脱国家的連合活動(+TNC)の類型

  ハンガリ- とポ-ラッドにおいては着実に市民社会が根ざして来た上で、ポ-ランドではカトリック協会と労働組合などが西欧と接触しながら脱国家連合(TNC) を形成し、ハンガリ-では通商交流などで幅広い脱国家関係を推進して来て、これが1989年政治体制変革を行う時に安定した要因として働き、漸進的かつ非暴力の体制変革を可能にした、と指摘されている。

 Patricia Chilton はハンガリ-・ポ-ランド の変化類型を①漸進ー段階的変容②平和的な権力移譲③完全な体制変革④合併ー連合した社会運動、として特徴付けている。

 (2)ハンガリ- 変革の力学

  1980年代のハンガリ- の国内構造は市民社会が浮上するにつれて国家システムが弱くなった特徴を帯びているが、社会主義体制のアキレス腱であった多党派・経済近代化への動きも、改革主義者より出始めた。

  また、FIDESZ( 若い民主主義者の連合) などの社会運動団体が出現し、PHR-TNC(平和と人権の為の脱国家連合) に参与しながら平和運動・民主化運動・脱国家的な接触を繰り広げて、国内政治に実質的な影響を与えた。

  かくして、政治勢力化した社会運動勢力は‘共産主義旧政権との妥協した政治改革' に抵抗し、完全たる体制変革を果たすように働き掛けたのである。

  ちなみに、ハンガリ-PHR-TNCとのコネクション は、チェコスロバキア・東独・ルマニアなど海外国に大きい影響を与え、1989年東欧大変革を来すようにし、これはハンガリ-にまたフィ-ドバック された、とChilton は主張している。

 

2. 東独とチェコスロバキアの場合

 (1)低レベルの市民社会活動(CS) と高レベル の脱国家的連合活動(+TNC)の類型

  東独とチェコスロバキアにおいては市民社会の発達は遅延されていたものの( 東独のルタ-を元祖にするプロテスタント 教とチェコスロバキアの市民フォ-ラムナぐらいが勢いを誇示していたが、これらも政治の本流には乗れなかった) 、体制変革期に脱国家連合の形成と活動は盛んであり重要であった。特にPHR-TNCは変革の類型を決めるのに作用していた。

 Chiltonは東独とチェコスロバキアの変化類型を①急激なレ-ジム崩壊②深刻な対立にも係わらず、平和的な権力移動③完全な体制改革④体制変革期になって際立った社会運動、として規定している。

 (2)東独変革の力学

  東西独では米ソによるINF(中距離核戦力) 配備に対して反発する社会運動が起こり、これが他の欧州核配備国家にも波及され、1980年代始め、核戦争への反対の道徳的名分を掲げた脱国家的コンタクト が出始めた。

  脱国家的コミュニケ-ション を促進して来たルタ-教会の枠内での活動は、実は、制約される側面もあったが、やがて1989年に至って教会の柴垣を離れた集会や社会運動が開花し始めた。結局、体制変革を渇望する大衆運動になり、改革理想は政権の内まで浸透し、ベルリンの壁を破るに辿ったのである。

  実に、東独で脱国家的コネクションと、遅れながら迅速に築かれた市民社会がなかったら、非暴力的で完全たるかつ全面的な政治改革は成されられなかったかも知れない、と主張されている。また、もし、東独とチェコスロバキアで‘ベルベト革命' が成功しなかったら、ポ-ランド とハンガリ-はあれほど迅速かつスム-スに改革ができたのか、ルマニアとブルガリア にも衝撃が走って制限的ながら変革ができたのか、との声も聞こえている。

 

3.ルマニアとブルガリア の場合

 (1)低レベルの市民社会活動(CS) と低レベル の脱国家的連合活動(TNC)の類型

  この国々においては、体制変革期まで市民社会の根ざしもTNC 活動もなく、ただ体制崩壊後の過度体制に抵抗する際に社会運動と党派結成の動きが現れた。

 Chiltonはルマニアとブルガリアにおいての変革の類型を①急激な体制の崩壊②暴力衝突③制限的な体制改革④変革に至るまでの社会運動の不在、と整理している。

 (2)ルマニア変革の力学

  ルマニアは、東欧における中距離核ミサイルの配備などソ連軍備の受領者ではなかったため、西欧の反核平和運動とは連携が取れず、社会運動グル-プが孤立化した。

  実に、ルマニアでは89年以前までのPHR-TNCへの不参加、86年ヘルシンキ覚書に非調印などTNCのコネクションと活動が不在したが、しかも市民社会も未発達したままで、体制変革の結果は根本的な改革なしに、チャウセスク個人独裁を追放するのに留まり、旧体制の属性を維持している‘浄化した振りをする権威主義体制' を残してしまったのである。

 

  三。結論

 

  東欧においての体制変革を顧みると、切実な人間の本性の欲求が理念より、軍備より、何よりも優先されていることと、社会運動の新しい地平を開くことこそ体制改革の近道という事実が分かった。

  まさに、東欧革命の研究で、社会運動は社会進化の要石であり、触媒であり、重要な独立変数であることが判明された。東欧の国内市民社会活動・脱国家的連合活動の目標は多党派・経済改革を望みながらの体制民主化であったが、それは見事に達成された。

  ところで、1989年東欧でとうとう課業を果たした社会運動は、もう、どんな性格の社会運動を志向して行くべきなのか。東欧で、何処ででも、もはや21世紀の入口に至っての社会運動は何を追求するべきなのか。東欧研究の延長線上で考えるべき問題と思われる。  さて、

今日は、共産主義の硬直したドグマだった唯物論から人間の個人的な内面を強調する新しい思潮が流行っている。学界にも社会心理学・心理経済学・物価心理学などが流行し始めた。人間は物質でも機械でもないし、自由意志で実存している実際(real being)である、との話である。

 しかし、今は‘第二の産業革命' の時代に入りつつある。エルビン・トフラ-の第三の波を越える第三・四の波が押し寄せて来る。テクノクラシ-より芽生えた新しい思想も説得力を得てきた。さあ、これからが問題なのだ。眩しいほど発達した科学技術(コンピュ--・ 機械など) の前で、果たして人間(性)は維持されるか。Hegel が叫んだ人間疎外は、現代の高度のメカニズムの中でもっと深刻に起こって来た。いまや、人間性を守る新しい革命を必要とする時代になってしまった。ルタ-の宗教改革が神に対する人間の革命、東欧革命が理念に対する人間の革命ならば、21世紀の入口に入ろうとする今からは機械に対する人間性の革命の時代になるだろう。

 まさに、社会の多元性(plurality) と人間性の回復を成し遂げた東欧変革の本質は、人間性の回復を目論んで来た歴史の伝統の流れの一部分であったのである。

 

  参考文献

Patricia Chilton,Mechanics of change in Eastern Europe ,in Thomas Risse-Kap pen (ed.), Bringing transnational relations back in(Cambridge U. Press,1995).

 

 J.P.D. Dunbabin,Eastern Europe Since 1957 in J.P.D. Dunbabin,The Cold War (London:Longman,1994).

 

 E. Mandel,  Introduction To Marxism,London,1979.

 

 Robert A. Dahl, After The Revolution ? Authority In A Good Society, Yale Univer sity Press,New Haven &  London,1970.

 

 Hal Draper, The Dictatorship Of The Proletariat:From Marx To Lenin,N.Y.,1987.

 

  重田澄男『社会主義システムの挫折ー東欧・ソ連崩壊の意味するもの』六月書店、1994年。

 

  下村由一・南塚信吾  編『東欧革命と欧州統合』彩流社、1993年。

 

 村上正邦『混迷の東欧を探る』読売新聞社、1991年。

 

 

2011/06/28 13:54